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当社は今に伝わるこの飛騨の匠の技術により全国で多くの実績を積んでまいりました。

木曾檜と飛騨の匠

当社は飛騨地方に伝わる木材加工技術を活かした加工工場を持ち、多くの飛騨の匠を組織し技術追求型の技術集団を志向してきました。

岐阜県中津川市加子母<旧加子母村>は、古くは平安、鎌倉の頃から、日本で最も良質と言われる木曾檜の産地として栄えてきました。鎌倉幕府、豊臣政権、江戸幕府などはこの地の重要性を知り、天領と成し、檜をはじめとする木材と切り出し、加工にかかわる職人たちを直接統治してきました。
木曾の檜は江戸城、名古屋城や、今に残る姫路城、犬山城などに使われてきたことが古文書に見えています。
江戸時代の初期には尾張藩の飛地領となり、その後の200年間は<檜一本首ひとつ>といわれるように、非常に厳しい山の管理が行われ、多くの悲劇をも生んできましたが、一方国内ではここにしかないと言われる高品質の檜が後世に伝えられてきました。

旧加子母村とその周辺の村々には、これらの良質の木材を加工し建築する技術が長い歴史の間に育ってきました。
加子母をはじめとする飛騨の地には、同じように木工技術が発達しましたが、いつしかこの技術集団は<飛騨の匠>と称されるようになり、長く、関西、関東、中部地方に出稼ぎし、この地の木材と加工建築技術のすばらしさを日本中に伝えてきました。

中島工務店の社寺をはじめとする伝統建築の技術は、長い歴史を持つこの飛騨の匠の技術を継承することから始まりました。
木を知る職人だけがいい建物を建てる。言い換えれば、材料と技術を知りぬいた技術者だけが後世に残る建造物を建てられるということだと思います。
私たち中島工務店は飛騨の技術者集団の名誉に恥じない仕事を残すことを常に頭に刻み、自分たちが納得できる仕事を目指して努力を続けます。

■木曽ヒノキ備林




■上棟式

■現寸引付